第16回 哲学カフェ

愛想の良さ

2017年5月13日(土)

記録ご投稿



■ 日 時: 2017年5月13日(土) 13:00~15:00

場 所: カフェ・サンラファエル

     (名古屋市西区名駅2-11-8 ファーストビル大樹1階)

      地下鉄「名古屋駅」1番出口より北へ徒歩5分

テーマ: 愛想の良さ

進 行: 井下賢一

参加費: 飲食代実費(440円~)

定 員: 13名

申 込:  staff☆nagotetsu.sakura.ne.jp(☆を@に変換してください!)

定員に達しましたら締め切りますので、なるべく事前にお申し込みください。お申込みがない方も席に余裕がある範囲で先着順でお受けします。お早めにいらしてください。

※定員に達しました。キャンセル待ちを受付中です。←キャンセル待ちを終了いたしました。 

主 催: なごテツ

共 催: カフェフィロ

備 考: ① 100円程度のご寄付をお願いしています。(強制ではありません。)

   ② 写真撮影と対話の録音をさせて頂いております。NGの方はお申し出ください。

《ご案内》

  ビジネスや人付き合いで大切とされる愛想の良さ。相手に好感を持ってもらったり、不快な印象を与えたりしないためのスキルともマナーともされています。しかし、無理して振る舞っていますと疲れてしまったり、時にはかえって誤解を招く要因になったりすることがあります。

 愛想の良さとはどのようなときに用いるものなのでしょうか。そもそも使い分けるものなのでしょうか。皆様とともに考えていきます。

 初めての方も歓迎です。どうぞお気軽にご参加ください。


~記録~

―開催報告―

なごテツ 第16回 哲学カフェ

《愛想の良さ》

日時: 2017年5月13日(土) 13:0015:00

会場: カフェ・サンラファエル(名古屋駅東口)

進行役: 井下賢一        参加者: 17

  

最近のなごテツの哲学カフェは定員いっぱいでの開催が多くなりました。これも皆様方のご協力のゆえと感謝しております。

さて、今回のテーマは「愛想の良さ」です。

今回も進行役が想定していなかった内容も出るなど、なかなか面白い展開となりましたが、最後に「礼儀」というキーワードがでたところで終了です。

 

以下に発言された内容をまとめてみました。

  • 愛想が良いとはどういうことなのか?
    • 挨拶がちゃんとできる。
    • テキパキとしている。
    • いつも笑顔。
    • 愛想は、家族のように人間関係が構築されている場合は使わない。
    • 立場が低い人が先に挨拶をする。
    • 相手の心の警戒を解くためにする。
    • 愛想の良さは自分をアピールするための自己開示。
    • 相手が受け入れやすい自分をアピール。
    • マイナスもユーモアを交えて話す。
    • 私がこういう人間ですという内容を相手に伝えるきっかけ。
    • あなたのことが好きです、知りたい、という気持ちを開示している。
    • 好きになって欲しい相手に愛想を使う。
    • 相手に合わせて話す。
    • 相手の人に寄り添って気持ちいい応対ができること。
  • 愛想がいいことと笑顔でいることの関係はあるのか?
    • 笑っていないけど愛想が良いはないのでは。
    • 笑ってないけど愛想がよいはあるのでは。
    • 相手の言葉を真剣に聞くは愛想が良いのか、笑顔は無いけど相手の誠意が伝わってくるような場合。
    • 笑顔でいるのは相手を受け入れるサイン。
    • 笑顔と笑うは違う。
    • 昔の交渉では最初に話を切り出したり、愛想を使ったりしたら不利になる。
  • なぜ愛想を良くしていると疲れるのか?
    • 愛想の悪い人間と思われたくないので常時そうしていないといけないから疲れる。
    • 愛想の良さが相手を受け入れますよとのメッセージだとすると、受け入れませんは言いにくくなるので疲れる。
    • 資質としてもとから愛想がいいもある。
    • 最初から愛想がいい資質を持ったいる人は疲れない。
    • 慣れの問題では。
    • 私は最初は愛想が悪かったので辛かったが変えることは可能。
    • 毎日愛想のよい行いを積み重ねて愛想がよくなった。
    • 愛想が良いというのは、自分が依頼したことをちゃんとやってくれて愛想が良い行動が取れること。
    • 愛想が良いか悪いかは自分が決めるわけではなく他人が決めるから。
    • 相手によって受け取り方が変わる。
    • 第一印象が影響する。
    • 評価されるのは最初だけなので。
    • 一旦愛想がいいというラベルが貼られるとそれを維持しようとするので疲れる。
    • 愛想笑いということになると、明らかな場合は相手に喧嘩を売っているようになってしまうから。
    • 喋らない愛想が悪いと見られるので。
    • そのため気を使うので疲れるがこれは相手とのコミュニケーションをしようとする気持ちがあるから。
    • 頼まれたことを形式的にやってっていたり、期待したことをやってくれないと愛想が悪いとなる。
    • 愛想が良いというのも、場合によってはへらへらしていると言われてしまう。
    • ヘラヘラしていると言われるのは相手の意向に沿わないとき。
    • ヘラヘラしているというのは中身がないと取られている。
    • 愛想が良いが必ずしも褒め言葉として使われない。
    • 愛想をふりまくとなってしまうと、私を受け入れてもらいたいというお願いをしているので立場が悪くなる。
    • 愛想のいいという状態と今の自分とのギャップがある場合は常にその違いを埋めていかないと行けないので疲れる。
    • 1つやろうとするとできるけど5個やろうとすると疲れる。
    • 自分のできる努力代と目指している努力代のさが大きいと疲れる。
    • 愛想がよいと依存関係を作ってしまうことがあり、依存されたほうが疲れてしまう。お互いが自立した関係でないと疲れる。
    • 理想のイメージとのギャップがあるとそれを埋めようとして疲れる。
    • 愛想を悪くするのも疲れる。
  • 愛想がよいと愛想が悪いは対極なのか。
    • 愛想が悪い=無愛想。
    • 意識的に無愛想にすることで、周りに威圧感を与えるので、周りが無愛想な人の気持ちを忖度してしまう。
    • 無愛想は相手を支配するスキル。
    • 黙っている、先に話したほうが負け。
    • 政治家は笑わないことで権威を保っている。
    • 無愛想なことで場をコントロールする。
    • 愛想が良いと損な役割が固定化してしまう。
    • 無愛想なことで関係を一旦リセットする。
    • 現在は昔のようにしているとチーム力が発揮できないので愛想が必要。
    • 私はあなたの味方ですと言ったほうが生き延びる可能性が多い、それを言葉で表すと愛想がよいとなる。
  • 双方が愛想が良いという関係は無いのか、そのほうが理想的ではないか。
    • 双方が愛想よくするという礼儀としての愛想の良さというのはあるのではないか。

 ご参加いただいた皆様、大変ありがとうございました。

(作成: なごテツ世話人 荒井豊)


~参加者からのご投稿~

[ご説明] 哲学カフェでのやりとりを多くの皆さまと共有する場として開設します。

イベント終了後2週間程度を目安に、参加者の皆さまからのご投稿を募集します。

当日の感想や、後で気づいたことなどを気軽にお寄せください。

参加者同士のさらなる対話の場としてもご活用ください。

[ご注意] 「ホームページ」欄は、ご記入なしで構いません。

「名前」は匿名や変名でも構いません。(後で変更はできませんので、ご注意ください!)

ご投稿はなごテツが発行および許諾した印刷物や電子媒体で複製・転載する場合があります。

あらかじめ、ご了承の上、ご投稿をお願いします。

イベント終了後、約2週間が経過しましたので、ご投稿の受け付けを終了いたしました。

コメント: 28 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    すずめ (日曜日, 14 5月 2017 08:25)

    「愛想」とは?
    1.人に接するときの態度。また、人当たりのいい態度。
      相手の機嫌をとるための言葉・振る舞い。
    2.人に対する好意・信頼感。
      客などに対するもてなし・心遣い。
    (by goo辞書 (一部順序変更))

    外見や振る舞いを示すのなら「相(そう)」の字がふさわしい。なぜ「想」の字を使うのだろう?

  • #2

    すずめ (日曜日, 14 5月 2017 10:27)

    当日の気づきのポイント:

    ・「愛想を使った方が負け」という考え方
    自分は、こういう感覚を持っていなかったので、新鮮であった。
    「愛想を使う → 下手(したて)に出る」という見方なのであろうか?
    (「下手(したて)に出る方が負け」という感覚が無いので、ピンとこない。)

    似たような事例で、「愛想をふりまくと、軽く見られる」という意見もあったと記憶している。
    「あれもお願い、これもお願い」って 無理な要求をされてしまう とか。
    実際にそういう経験をされているということなので、そうなのであろう。

    ※私の場合、愛想を使った方が相手を懐柔できるし、頼みにくいことでも頼めるようになるので、得(≒勝ち) という感覚。

  • #3

    Mn3 (日曜日, 14 5月 2017 15:09)

    愛想は誰のためにするものなのか。
    相手に「自分はあなたに好意を持っていますよ。だからあなたも私に好意を示してください。」
    もっと言えば「だから私に利するようにしてくださいね。」
    ということだろう。つまりは相手のためであっても、結局は自分のためでもある、両義的。
    でも相手が自分に好意を持ってなかった場合、相手から「ごめんなさい」をされる可能性がある。
    実際にはこちらの愛想を〈無視〉とか〈無愛想〉で返される可能性はいつでもありうる。
    それは、どんな人間にとっても不愉快で嫌な経験であろう。
    にも関わらず自分から愛想を示すということは、そんな危険を冒してまでも「わたしはあなたに、あなたの好意を示してほしい、あなたに優しくしてほしい、あなたに私のために利することをして欲しい」とアピールするということだ。
    だから自分のほうから愛想を示すというのは誤解を恐れずに言うと〈負け〉ではある。
    さらに付け足すと、相手と対峙したとき誰でも程度の差はあれ緊張をおぼえる。
    その緊張に耐え難いほうから先に愛想を示すものだ。そして社会通念上、めしたの者の方が先に愛想を示すべきであるという了解も持ち合わせている。
    そういう意味も含めて〈負け〉ということです。
    だが、誰でも上記の心理は持ち合わせるにも拘わらず自分のほうから愛想を示せる人は〈度量の大きなひと〉〈器の大きなひと〉であると思う。
    そこには愛想を示すということがただ単に自分だけの為ではなく、相手といい関係を結びたいという心の顕われがあるだけに美しい行為だと思う。
    この美しい行為は〈勝ち〉とも言えるでしょう。
    ちなみに愛想の「想」について。
    相はおい茂った木の姿を見ることによって、見る者の生命力をを盛んにする魂振りの儀礼をいう。これを他の人に及ぼして、「おもう」ことを想という。by常用字解(白川静)
    だそうです。

  • #4

    すずめ (日曜日, 14 5月 2017 20:14)

    Mn3さん、こんにちは。今回もよろしくお願いします。

    #3
    >相手と対峙したとき誰でも程度の差はあれ緊張をおぼえる。
    >その緊張に耐え難いほうから先に愛想を示すものだ。

    これも、私にとっては新鮮な感覚です。
    相手が緊張を解く前に、先に胸襟を開くことができる方が度量が大きい(≒強い)のではないでしょうか?

    >そして社会通念上、めしたの者の方が先に愛想を示すべきであるという了解も持ち合わせている。

    これも、私に無い感覚です。(なんなんだろう? 世代の差 だろうか?)

  • #5

    Mn3 (月曜日, 15 5月 2017 02:37)

    すずめさん、早上好。(って僕は日本人ですが)こちらこそよろしくお願いします。挨拶が遅れました、すみません。
    (別にどちらが格上格下というわけではありません。強いて言うとすれば挨拶はどこか面映ゆいとこがあるので実生活でも得意ではありません。m(._.)m)
    〉#4
    一般論として言えば、挨拶は目下の方から目上の人に先に言いますよね。僕は挨拶と愛想を混同して論じてるため混乱させてしまったのだと思います。
    でも実は#3をUpする前に気づいてはいたのです。
    それは会社では、目上の人にかしこまって挨拶すると、立場が上の方が黙って笑顔で頷くという場合もありますよね。
    そういう時は愛想は目上のひとの方が先に見せることになるので僕の理論に修正を加えなければいけないという事を。
    〉世代の差 だろうか?
    って僕のこと団塊の世代だとお思いになっているのですか?( ^∀^)
    繰り返しになりますが愛想と挨拶をどの程度まで同一視出来るかによって今回の論点は食い違ってきます。
    挨拶も愛想の一部だというのが僕の見方なのですが、どうでしょう。

  • #6

    すずめ (月曜日, 15 5月 2017 05:45)

    #5
    >一般論として言えば、挨拶は目下の方から目上の人に先に言いますよね。

    ...その感覚が既にありません。(^_^;)

    確かに、おっしゃるように 昔はそうだったのかもしれません。
    でも、私は実生活の中で「挨拶は目下からするものだ」という感覚を抱いて居ませんし、ビジネスマナーとしても そういうふうに習っていません。

    #挨拶って、コミュニケーションを円滑にするための導入部分だと思います。その導入部分で「格付け(目上,目下の立場の固定化)」を行なうのって、おかしくないでしょうか?

    #世間一般ではそういう感覚(挨拶は目下からするもの)なのでしょうか? 私がずれているだけ?

  • #7

    からす (月曜日, 15 5月 2017 21:03)

    挨拶は目下からというのは昔の決まり事ではないかと思います。
    江戸時代とかの
    身分に差があればおふれが前もって伝達されて
    土下座して姿を見てもいけなかった位ですから
    先にアクションを起こすべきは目下だったのではないかと想像します。
    先に挨拶をすれば負けとはその名残りかと・・・
    私も古い志向性を持っているので
    尊敬する人に気が付かずに先に挨拶された日には
    穴を掘ってでも入りたいと思ってしまいます
    でもライバル関係にある距離感であれば気にするかも
    とくに押されている側が気にしていそうです。

  • #8

    Mn3 (月曜日, 15 5月 2017 22:01)

    》#7
    さすが、からすさん。
    ありがたい。

    「礼儀」と広辞苑で引くと「社会生活の秩序を保つために人が守るべき行動様式。特に、敬意をあらわす作法。」とあります。
    礼儀は単に「わたしとあなた」のためのみならず、これから生まれてくる子供たちが快適に暮らしてゆけるよう人間が作り出した〈社会〉を大切に引き継がせるという役目もあるかと思います。
    また今から何百年(もしかすると数千年?)も昔の人間の思考や行動など「今」生きている私たちに何の関係があるのだ、と思われるかもしれません。
    しかし生物学的には昔のヒトも現在のヒトも何ら変わることもない(と言えば言い過ぎですが)。
    なぜ伝統というものが大切にされるのか(勿論良い伝統と悪しき伝統があることは認めますが)、切り捨て難いのか。
    なんか偉そうなこと書いて恐縮ですが、実は僕も「宮本常一の『忘れられた日本人』なんてそんなに読む必要があるのか?」とかよく思い、未だに答えは見つけられません。
    歴史、伝統の意味、いつか考えてみたいとは思います。
    愛想の良さから遠ざかってゆくぅ。

  • #9

    すずめ (火曜日, 16 5月 2017 21:00)

    人と人との関係を便宜上2種類に分けます。
    ひとつはwin-winの関係(あるいは対等関係)
    もうひとつはwin-loseの関係(あるいは上下関係)

    愛想や挨拶を 上下関係の固定化=秩序維持の手段 として捉える向きがある ということを理解しました。
    私は実生活の中でそういう愛想や挨拶の使い方をしていないので、ピンと来なかったのです。
    (一旦 切ります。)

  • #10

    からす (火曜日, 16 5月 2017 21:08)

    愛想の良さと笑顔の関係が気になりました。

    笑顔で悪口や皮肉など敵対的な行為は可能ですが
    愛想が良いけれど笑顔ではない
    こちらはあまり想像できない
    不愛想だけれど親切や好意的は想像できる
    愛想の良い状態には笑顔が必要だが笑顔は愛想の良さが伴わなくても良い。
    愛想が良いことは笑顔の一形態なのでは?という発言も在ったと思いますが
    魅力的な意見であるものの一括りにしてしまうことには抵抗を感じてしまいます。
    笑顔は本人だけで完結可能ですが
    独りでいるのに愛想が良い状態は見ると不安を感じてしまいます。
    対象を必要とするかどうかでは違うカテゴリーものと感じます。
    また、愛想の良さに必要そうな友好的に見える状態には笑顔は必須なのでしょうか?
    悲しい表情は状況によっては友好的に見えますが愛想が良いようには見えなさそうです。
    喜んでいるように見える状態と笑顔は同じものなのか?
    同じと考えれると仮定。
    怒った表情、無表情、憂いの表情などは該当しないでしょう。
    では笑顔で友好的に振舞おうとする行為をしていることをさして
    愛想の良いといえるのでしょうか。

  • #11

    すずめ (火曜日, 16 5月 2017 22:35)

    目下の者が目上の人に使う“愛想”には、2種類あると思います。
    一つは、慕う(敬愛する)気持ちの表現、
    もう一つは、敬遠する気持ちの表現。

    一方で、対等関係で使う愛想も2種類あると思います。
    一つは親しみの表現、
    もう一つは距離を保つための表現。

    対等と上下、親愛と敬遠、互いに相反する2つの要素を備える“愛想”という表現。
    使いこなすのはなかなか難しそうです。
    (下手に使うと逆の意味に受け取られる可能性があります。)

  • #12

    Mn3 (水曜日, 17 5月 2017 21:44)

    全ての愛想の良さは本音かもしれない建前として現れる。
    しばしば笑顔という形で。
    その笑顔というコードを読み解こうとする〈わたし〉と笑顔の〈あなた〉の間にゲームが行われる。
    結果は次のAorBに大別される。
    愛想の良さに見えた(制度としての)笑顔の本音はA:本音。B:単なる建前。
    敷衍するとA:〈あなた〉の笑顔は本音だった。〈あなた〉は〈わたし〉との関係も壊したくないし〈わたし〉のことも大事だ。
         B:B-1〈あなた〉は〈わたし〉のことが嫌いだけれど〈わたし〉との関係は壊したくない。  B-2〈あなた〉は〈わたし〉のことが嫌いだし、〈わたし〉との関係を壊してもかまわない。B-3上記のB-2に加えもっと言って宣戦布告。

  • #13

    からす (水曜日, 17 5月 2017 22:41)

    愛想の良さはそもそも効果を求める行為なのか?
    愛想を良くしようとする意志があるのであれば
    それは誰かに対して行動を起こしているので
    なんらかの結果を求めていると思われます
    相手に対して敵意がないことを表現しようとしている
    出来れば相手からも親しみを持って接して欲しい
    では相手をコントロールしようとする行為なのか?
    YESでもありNOでもある気がします

  • #14

    すずめ (水曜日, 17 5月 2017 22:54)

    #1や#11で書いたように、「愛想」という言葉は、いい意味にも悪い意味にも使われます。
    こちらが いい意味で「愛想」という言葉を使っても、相手はそれを 悪い意味で捉えるかもしれない。

    そう考えると、この言葉を いい意味で使うことがためらわれます。

    いい意味の「愛想」は、「人当たりがいい」とか「フレンドリーだ」とか「親しみが持てる」などの言葉に置き換えた方が無難な気がしてきました。

  • #15

    Mn3 (木曜日, 18 5月 2017 20:52)

    #9で一旦切られましたが。
    すずめさん。
    日常で相手との関係性は壊したくないけど大嫌いな人にはどういう風に振舞ってるのですか?
    そして関係性を壊しても構わない大嫌いな人には?
    実は気になっていました。
    もし気分を害したらごめんなさい。

  • #16

    すずめ (木曜日, 18 5月 2017 23:57)

    Mn3さん、
    >日常で相手との関係性は壊したくないけど大嫌いな人にはどういう風に振舞ってるのですか?

    距離をとっています。極力 近づかないようにする。必要最小限の関わりしか持たないようにする。でも挨拶は必ずします。いわゆる“愛想”は使いません。


    >関係性を壊しても構わない大嫌いな人には?

    そういう人は、居ません。


    >もし気分を害したらごめんなさい。

    いえ、全く問題ありません。お気遣いありがとうございます。

  • #17

    からす (金曜日, 19 5月 2017 12:12)

    愛想という表現が良い意味と悪い意味を持ち合わせるのは
    生きている言葉であれば仕方がないことのような気がします
    使い込まれた言葉は相反する意味を持ってしまう
    それだけ表現に広がりを持つ良い言葉でもあると思います
    時に強い意味が染み着いてしまうと不憫ですが
    哲学とか理屈とか勉強とか
    また、愛想の良い言葉というのも裏がありそうで怖そうです
    口当たりの良いものには警戒しなければならないと考えてしまう
    そんなフィルターは元の意味を歪めてしまうものではあるのですが
    それは言葉のせいなのでしょうか?
    言葉とはなんて不便で使い難いものなのかと思ってしまいます
    しかしその伝わらないことが勘違いを生み出して
    良く悪くも人の人生を変えてしまうような力を持つ
    とても興味深いことだと思います。


  • #18

    Mn3 (金曜日, 19 5月 2017 21:04)

    《#16
    すずめさん。
    ありがとうございます。
    無理言ってごめんなさい。
    とてもpureなイノセントな印象を受けました。

    似たような表現でも意味が真逆の言葉ってありますよね。
    〈愛想のよい笑顔〉と〈愛想笑い〉
    真逆ってほどでもないけど、その人に対する思いは推し量れます。
    笑顔って世界共通の相手を和ませる《ことば》だと思う。
    しかしその笑顔には、さらに色んなニュアンスが込められていることに気づくようになった=成長したのは幾つくらいの年齢の時であろうか?
    笑顔を好むのは本能のような気がするが、読み取るのは文化のちからかもしれない。
    「あの時なあの人の笑顔の意味は~ということだったんだ」と時間差で気づくとき、その時間ってなんだったのだろうと思う事がある。
    「そりゃあ適わないはずだよ」と続けて思う。

    この世界から愛想の良い笑顔がなくなったら、どれだけ誤解がなくなるだろう。
    だけど心の中で反すうしてこちらが微笑んでしまうこともなくなるだろう。

  • #19

    Mn3 (金曜日, 19 5月 2017 21:15)

    #18
    14行目  ✖ あの時な   → ○ あの時の
    失礼しました。

  • #20

    すずめ (土曜日, 20 5月 2017 07:23)

    #16 - #18 を読んで、
    私は「“微笑み”は、“愛想”じゃない」と思っていることに気付きました。

    「儀礼的な微笑み」は 礼儀の類であって、愛想とは違うと思います。
    好き嫌いを問わずに関係を保つには、礼儀が必ず必要になります。愛想は必要ありません。

    という点を踏まえて#15の以下の問いに再度答えるとすると、
    >関係性を壊しても構わない大嫌いな人には?
    →礼を払わない
    ということになると思います。

  • #21

    すずめ (土曜日, 20 5月 2017 07:49)

    「愛想」について議論しているときと、
    普段の生活の中で「愛想」という言葉を使っているときとでは、
    言葉のニュアンスが微妙に変わってしまうということがありますね。
    こういうことに気付けたのも「新鮮な経験」です。

  • #22

    Mn3 (土曜日, 20 5月 2017 10:02)

    客商売なのに愛想もなく、やたらとサービスの悪い店があります。
    関係性を保つ理由もないからもう二度と行きません。
    しかしある程度年配のお客さんの中には店長に文句を言って、少し教育を自分がしてやると言わんばかりの方がいます。
    年をとると誰でもああなるのかな、と思って見ていましたが。
    若い客は大抵、そんな店勝手に潰れればいいという認識です。
    年配の客は、自分が受けた不合理を黙っているわけにもいかず、腹は立つが店員もまた同じ社会の一員なのだからという理由からか絡んでゆくのを目にします。
    喧嘩は見る分にはいいけど。

  • #23

    からす (水曜日, 24 5月 2017 12:01)

    愛嬌があるという言葉と比較してみると
    愛想が良いということがビジネス用語寄りに感じてしまいます
    愛想は接客よりの言葉?と仮説して有効性を考えてみます
    接客といってもお金が絡むとは限らないので
    投資に対してのリターンは効果的なのか?
    愛想を良くしていると人間関係は良くなるのか
    この答えは様々にありすぎて判らないのですが
    笑顔の人、困っている人、無表情の人、怒っている人、武装してる人、泣いている人
    初対面の際に誰に話しかけ易いかと考えると笑顔の人かとは思いますので
    相手にポジティブな反応を求めたい時には効果の割りに投資が少なくてすみます
    相手が喜びそうな贈り物をするなどより効果が期待できそうな方法に比べて
    愛想良くすることは顔の筋肉を動員すれば済むことなので持ち出しが少ない
    しかも贈り物をする際に重複して行えるので贈り物の効果を高めることも期待できます
    ではマイナス要素はあるのでしょうか?
    ヘラヘラして見える、軽くみられるや不愛想でいる方が相手より優位に立ちやすい
    これらは相手との関係でマイナスになる可能性はあります
    しかし相手のことが判らない状況であるならば愛想が良いことはローリスクなのに対して
    不愛想でいることは好意的にみられない可能性というリスクを負います
    自分が相手よりも弱かった場合には愛想が良い方が正解に近いと思われます
    優位の相手に不愛想で向かい合うのはリスクが高そうです
    では自分の方が優位の場合には効果がないのでしょうか?
    優位の場合にはどちらでも問題なく効果を期待する必要がそもそもありません
    立場が近くて駆け引きが有効な場合や優劣を覆す方法を持っている場合には
    重要な意味を持ってくる可能性が出てきますがこれらは限定されるケースかと思われますので
    愛想良くしていることはローリスクの割りにリターンを期待できる
    有効性の高い交渉のスキルではないかと考えます

  • #24

    Mn3 (水曜日, 24 5月 2017 20:48)

    愛想は間の長い挨拶のようなものだ。
    挨拶の言葉の意味自体には意味はない。
    相手が「この人愛想がいいな」と思ってくれればどんな〈挨拶のことば〉でも構わない。
    愛想の意味は「あなたの存在を大事に思います」だからだ。
    少し偏見を交えて言うと、お婆さんが客人に対して、
    「お~お、そうかそうじゃったか、都からわざわざこんな田舎にいらしてくれたか。ほんにご苦労様じゃあのぅ」
    とにこにこして接してくれる、というイメージ。
    「負けるが勝ち」という言葉もあるように、客人が自分に悪さをしないよう、情に訴えて防衛するという意味合いもないではない。
    が基本、愛想は無償の愛かもしれない。
    だから余りにも多くの人に愛想を良くするのは、余りにも多くの人に無償の愛を贈る行為と同じで不自然で疲れる。
    でも現代社会ではビジネス上その不自然を強要される人も多いだろう。
    現代社会がストレス社会と言われる所以だ。
    尤も「わたしはビジネスとして愛想を良くしてるのであって、いちいち無償の愛など贈ってはいない」と反論する人も多いだろう。
    しかし愛想の原型は冒頭で述べたように基本、無償の愛である。
    だから何千何万の人に愛想を良くしてストレスを感じない人などいない。
    でも私たちが築き上げた現代文明はそのストレスを強要する。ほんとうに私たちは心の底から幸せと言えるのだろうか。
    歴史を紐解けば人類のコミュニティなどほんの少数で成り立っていたのがわかるだろう。
    SNSはおりしもコミュニティを爆発的に拡大させてきた。
    ほんの少しだけ、自然に愛想の通じるコミュニティの大きさに想いを馳せるのも必要ではないだろうか。

  • #25

    からす (木曜日, 25 5月 2017 16:06)

    仏教で得を積むための方法の布施に顔施というのがあるようです
    笑顔で人と接することを自分の徳を積むためだからしなさい
    身も蓋もない言い方ですがそうしなければ従ってくれなかったんでしょう
    苦しみから逃れるためのカリキュラムと仏教を仮定してみると
    今すぐできる実践編のひとつに入っている感じでしょう
    「小さなことでもあなたが変われば周囲も変わる
    教本も道具もお金もかからないのでまずはやってみましょう」
    そのまま自己啓発セミナーで使えそうなネタなので
    2500年ほど前に言われたことが未だに有効のようです
    先見の目があったと言うべきなのか人が進歩していないとすべきなのか
    まあこれをもっとも身近な家族に実践できていますか?としてみると
    複雑な感情が出てきますので
    かんたんなことほどやり続けることが難しいという
    これまた擦り切れるほど昔から言われていそうな
    乗り越えなければ進むことができない壁がありそうです
    良いことは判っているけどなかなか続かない
    愛想の良さもこのカテゴリーに入るのでしょうか

  • #26

    Mn3 (木曜日, 25 5月 2017 22:20)

    》#25
    「顔施」ということば、初めて知りました。
    顔施の修業中「自分の徳を積むためにやってるんだ」と笑顔で人と接している。
    しかしと言うかそのうち「これは私欲で笑ってるんじゃない。ほんとうに今、接していた人の幸福を願わずにはいられなかったんだ。」という瞬間を経験するだろう。
    そして知るだろう、「顔施」の本当の意味を。
    人間の経験の意味は多重的だ。
    だから私たちも「これはビジネス。自分への見返りを期待して愛想よくしてるんだ。」というのが「今のお客さんからの見返りを期待してが70%。だけど残りの30%はお客さんのために笑顔で接してたんだ。」となるのにそれ程時間は要しないのでは?
    そして知るかも、人の世に生きるという意味を。
    しかし、100%人のための経験はなかなか困難だ。
    だからと言って「結局みんな自分のことしか考えてないのさ。」と嘯く必要もないだろう。
    人間の行動の意味は多層的なのだから。
    いま苦しんでる人(たぶん皆んな)が顔施に踏み切れない言い訳はいくらでもあるだろう。
    でも「もうだめだ。八方塞がりだ。」となったとき、「顔施」は思い出すに如くはなし、なのではないだろうか。

  • #27

    すずめ (日曜日, 28 5月 2017 19:39)

    そろそろ2週間になるので、何か書いて終わろうと思ったのですが、なかなかまとまりません。
    #24「愛想は間の長い挨拶のようなもの」
    「愛想」、「挨拶」、「礼儀」...
    「愛想」は外面的な特徴を示すことばなのか。だから、心が籠っていない愛想を「愛想笑い」「お愛想をいう」のように使うのだろうか。一方、内心の発露による愛想を「愛想が良い人」のような使い方をするのであろうか。「心」というのも2つあって、ひとつは「感情」もうひとつは「理性」、礼儀などは理性の働きだし、好意は感情の発露だ。だから、「内心の発露による愛想」にも2種類ある。
    まとめると、
    1.内心とうらはらな愛想
    2.内心の発露による愛想
     2.1 好意の表現としての愛想
     2.2 敬意の表現としての愛想
    「好意」と「敬意」は一致することもあるが、一致しないこともある。
    「好意」と「敬意」は時として相反することもあるので、「愛想」の使い分けは本当に難しい。
    おそらく2.1の愛想と2.2の愛想は、表現方法が微妙に異なるのだろう。だから、それで見分けるのだろうか?

    最後、独り言の羅列で終わってしまい、すみません。
    Mn3さん、からすさん、今回もお付き合い戴きありがとうございました。
    また機会があれば、参加させて頂きます。

  • #28

    Mn3 (月曜日, 29 5月 2017 00:34)

    》#27
    》おそらく2.1の愛想と2.2の愛想は、表現方法が微妙に異なるのだろう。だから、それで見分けるのだろうか?

    なるほど。
    すずめさん、その〈微妙〉さを敢えて文字で表現するとどんなふうになるのかなぁ。
    表情とか声色、動作、なんとなくの雰囲気etc......
    以外で付け足すとどんな感じかな?また、もっと言うと「内心とうらはらな愛想の場合は顔のココがこうなって、内心の発露による愛想の場合は声色が~となる」みたいに文字化するのは不可能だろうか?(たぶん無理っぽいね、)

    昨日か今日の新聞でAIが人に囲碁で圧勝し、これでチェス、将棋に続き人類は頭脳を使ったゲームに完敗という記事を読んだ。
    そんなIQ数千のAIが人の感情を正確に読み取れるようになるにはどのくらいの時間が必要だろうか。空気を読まねばならぬから相当難易度は高いはず。
    人でさえ自分以外の人の笑顔の理由を読み取るのにはスーパーウルトラ難易度高いのだから。

    幕末か明治の頃、日本に来た外国人の話を思い出しました。
    自分(日本人)の夫の葬式の後、この寡婦が笑顔で外国人に「こんな小さな骨になっちゃたんですよ」と話しかけてきたそうです。勿論この外国人は笑顔の意味を測りかねて、不気味さしか感じ取れなかったそうです。
    この寡婦の愛想の良さの意味するところは「わたくしごとであなたを煩わせては申し訳ないので、気丈なフリをしてるだけなんですよ」の類だと思います。
    これをAIが読み解くには西暦2✖✖✖年のことになるのだろうか。
    それとも心を持たない、或いは持ち得ないAIには無理な話で画期的なブレイクスルーが必要とされるだろうか。

    最後に極限状態での話。
    国連軍の平和維持部隊だったかアメリカ軍の陸上部隊が、アフリカで大勢の部族に囲まれていたとき。
    緊張感が極度に達して、一発でも威嚇射撃をしてしまったら、大惨事が起きるのは避けられないだろう。
    言葉も通じない状態、しかし司令官は自分の部隊に命令を発した。
    「Smile!」
    この欧米人たちの笑顔を見てアフリカの人たちは敵意のないことを読み取ったという。
    もしAIが司令官だったらどうなっていただろうか。
    AIが人間に代わり得る必要があるかどうかはさておき、そうなるまでは紆余曲折を経なければならないだろうことは想像に難くない。

    愛想の良さは誰にでも教えうるものなのだろうか。


第16回 哲学カフェ

愛想の良さ

2017年5月13日(土)

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