第38回 哲学カフェ

「好み(このみ)」ってなに?

2019年3月9日(土)

記録ご投稿



カフェ・サンラファエルさまの入り口
カフェ・サンラファエルさま

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日 時: 2019年3月9日(土) 13:00~15:00

場 所: カフェ・サンラファエル

    (名古屋市西区名駅2-11-8 ファーストビル大樹1階)

     地下鉄「名古屋駅」1番出口より北へ徒歩5分

テーマ: 「好み(このみ)」ってなに?

進 行: 水野生惠

参加費: 飲食代実費(440円~)

定 員: 20名

申 込: 2月26日(金)夜からメールにて受付開始。

     staff☆nagotetsu.sakura.ne.jp(☆を@に変換してください。)

定員に達しましたら締め切りますので、なるべく事前にお申し込みください。

お申込みがない方も席に余裕がある範囲で先着順でお受けします。お早めにいらしてください。

 

《ご案内》

 「なんだかんだ言っても結局は好みだよね」 「なにを好き好んでそんなこと」
そんな言葉を時折耳にします。 「好み」ってどこから生まれてくるのでしょうか?
なんとなく好き、なんとなく嫌い。。。 あれ?「好き」と「好み」は似て非なるもの?
好み=好き、好まないもの=嫌い、なの? などなど
哲学対話を好む人々で考えてみたいと思います。
初めての方も歓迎です、どうぞお気軽にご参加ください。

 

―開催報告―

 

なごテツ 第38回 哲学カフェ

 

ちょっと暖かくなってきたなと感じる3月ですが、  

あちこちでくしゃみが 聞こえてくる季節でもありますね。

さて、今日のテーマは「好みってなに?」です。     

カフェで飛び交うさまざまな対話内容も、         

  最後はお好み次第という結論に なってしまうのでしょうか。

いつものごとく、以下に内容の一部をご紹介します。 

 

日時: 2019年3月9日(土) 13:0015:00

会場: カフェ・サンラファエル(名古屋駅東口)

進行役: 水野生惠

 

  今回のなごテツの哲学カフェのテーマは、「嘘をつくのは悪いこと?」です。

  

・「好み」は「選択」。

・「好み」と「好き嫌い」があるがそれぞれニュアンスが違う。

・「好き嫌い」よりも間口が広いのが「好み」

・「好み」は決めつけ的なところがある。

・「好き」が集まったものが「好み」では。

・「好み」は説明が難しい。

・「好み」は心地よく生きるためのセンサー

・「好み」は選択可能で替えがきくもの。「好き」は替えがきかない。

・「好み」は気質的なもの。遺伝的に決まっている?

・その人自体が持っている質としての好みがある、それが具体的な場面で好き嫌いとして出てくる。

・「好み」は文語的、「好き」は口語的。

・「好き」は「好み」を突き詰めた感じ。

・「好み」は皮膚感覚でわかる。

・具体的な好き嫌いの前に好みが出てくる。

・好みは食べる前の好き。

・好きも好みもケースバイケースで使っている。好みを口語的に言うと好きになる。

・好きと好みの間に何かを見てしまうのが哲学好きの癖。そんなものは無いのでは。

・好きの反対は嫌いだが、好みの反対語はない。

・好みは快・不快からではないか、体の状態で好みが決まる

・好きよりも嫌いの方がエネルギーが強い。

・生理的に受け付けないが其れに当たるのではないか。

・遺伝子+環境=好み?

・体の状態から好みが影響を受ける。

・蓄積してきた情報で好みは決まる。変わる。

・背景にあるストーリーが好みを左右することもある

・嫌いなものはヤバくて殺されるかもしれないもの。

・経験(知っている)があると「好み」になりやすい。でも慣れると飽きる?

・好きは感情、好みは感覚

・前に見たことがあるものはとりあえず生きていたということなので安全なもの→好き

・体験から好みが生まれて好きになる。体験→好み→好き

・草食系の人は新しいものを見ると危ないと感じるが、

 肉食系の人は新しいものを見るとまず食べてみようと好奇心を持つのでは。

・好みはモノに対する反応ではないか

・あるものが好きというと反発を招くことがあるが、好みでは

・好きなものもキライになった方が心がラクなら、人はそうすることもある

・服のように好きだけど似合わないということがある。

・ボールを壁に当てて跳ね返ってくる跳ね返り具合=好み。

・自分は変化し続けている。好みも変化する

・好みはかわせるが好きは暴力的。

・「好み」は未来に対する意思表明。「好き」は現在の私。

・「好み」以外に「依存」というカテゴリーもあるのでは

・「好み」は対象に近づこうとする運動。でも好きだから近づけないという矛盾もある

・対象への「反射」(興味)があり、そこから「気分」が生まれて「好み」が現れる。

 その気分は揺れ動くもの

・身の丈にあったものが「好み」であり、手の届かないものは「憧れ」

・「好み」は幻想。説明できない。

 

今回のテーマは、参加者が、皆それぞれに表現豊かに語ってくれたため、

終始笑いの絶えない 楽しい時間となりました。

 

 

(作成: なごテツ世話人 水野生惠、荒井豊)

コメント: 6
  • #6

    Mn3 (日曜日, 05 5月 2019 09:03)

    〈好き〉も〈好み〉も自分が主体となって発する語。
    ただ、〈好み〉は〈好き〉の婉曲的表現。
    〈好き〉のほうが直接的、人のほの暗い情念の世界をあらわしてしまう。
    古来、人前で自分の強い感情を表すのは礼儀に反する、はしたないことだと考えられてきた。
    そこで登場するのが〈好み〉だと思う。
    〈好き〉は人前で言うのをはばかられるケースでも、
    〈好み〉だったら話題にできる。
    誰が〈好き〉なのかは言えなくても、
    どんなお菓子が〈好み〉なのかは親しくない人にも言える。
    当たり障りのないフレーズとして〈好み〉は存在している。
    逆に言えば誰が〈好き〉なのかを知っている人というのはかなり仲がいい人に限られる。
    だから〈好み〉は切ないかも。
    うまい比喩ではないけどメルアドが〈好み〉で電話番号が〈好き〉かな。
    第38回の開催報告の記録で切ないフレーズを見つけました。
    『好みはかわせるが好きは暴力的。』

  • #5

    0 (火曜日, 09 4月 2019 13:49)

    >そもそも宇宙が生まれた時の「意図」がもしあるとしたらそれに近いもの?
    なるほど。宇宙自体の持って生まれた傾向みたいなイメージ。うなずけます。

    >「創造」という意図があったとしたら、「欠如」というのも近いかも。
    たしかに、「意図」と「欠如」は表裏一体って感じがします。
    完全無欠で自足したものにはどんな意図も必要ない気がするので。

    「・・・あるいは逆に」の部分って穴が「完全な穴」=ゼロになるって意味ですか?
    「長い長い計算」「プラスマイナスゼロになる」など面白いキーワードがあって気になります。

    >「その時」=「何かを選択する瞬間」には、なにが起こっているんでしょうね?
    「その時」=「そもそも何かを選択する事を可能にしている場」でボスってイメージでした。
    映画に例えると、寅さんがマドンナを選ぶ?とかの物語のためにはそもそも「その瞬間のすでに完成した1コマが在る」ことこそが、映画を成り立たせているって。
    完全な1コマは「好み」にも必要充分に思えたんですが、1コマでは物語にならないか。
    先代のボスくらいにしておきます。。。

    >選ぶ感覚が「好み」
    >衝動として作用する「好み」という感覚
    「好み」を感覚としてとらえるって面白いですね。
    「痛い」「熱い」「甘い」とかみいたいな「好い(このい)!」って感覚?、案外わかる気が。
    「痛い!」「熱い!」は思わず避ける。「甘い」「好い」は思わず惹きつけられる。
    いずれも衝動や突き動かされる感じがともなう。(笑)

  • #4

    ヤスミン (土曜日, 06 4月 2019 19:59)

    「なにか」。。。は、なにか?
    そもそも宇宙が生まれた時の「意図」がもしあるとしたらそれに近いもの?
    「創造」という意図があったとしたら、「欠如」というのも近いかも。
    その「穴」をなにで埋める?そこにふさわしいものを選ぶ感覚が「好み」?

    ・・・あるいは逆に、「穴」そのものが完全になることが目的だとしたら、いつか長い長い計算が終わってプラスマイナスゼロになるために人を動かす衝動として作用する「好み」という感覚だったりして。

    さて「気分」と「その時」では、どちらがボスキャラなんでしょう?笑
    そもそも
    「その時」=「何かを選択する瞬間」には、なにが起こっているんでしょうね?
    やっぱり「なにか」に突き動かされている気が。。。

  • #3

    0 (金曜日, 05 4月 2019 19:08)

    ヤスミンさん#2について

    >遺伝とか環境とかよりもっと前にあるもののような気がする。。。
    なるほど、「もっと前」は思ってもみませんでした。
    投げかけるものなんですね。なにかありましたか?
    いろいろ考えが浮かびますがヘンなとこでは「穴」. . 。欠如としてのわたし。
    この場合「投げかけ」というよりは遺伝や環境や経験を「呑み込む」とか。

    >「結局はその時の気分」
    気分も説得力アリですが、実はここでのボスキャラは「その時」なんではと思ってます。
    「なんだかんだ言っても結局はその時だよね」!
    環境の一部としてのその時ではなくて、そこからすべてが開かれる「その時」。

    前半の「なにか」に「その時」を入れても納得感があるのは個人差?
    好みが気まぐれに変わる人向きかも。

  • #2

    ヤスミン (水曜日, 27 3月 2019 20:04)

    そもそも「好み」はいつどうして生まれたのか。。。?
    そもそも「なにを好むか」も自分で決めているの?
    決めているつもりでいるけど
    なにかに決めさせられていたりして?
    なにかってなんだろう。。。?
    遺伝とか環境とかよりもっと前にあるもののような気がする。。。
    その「なにか」からの最初の投げかけに対して、遺伝や環境や経験が化学反応して生まれる「好み」。
    それに動かされるわたし。
    だから時々「好み」ではないこともしてみると、「好み」になっちゃうこともある、実はあいまいな「好み」。
    「結局は好み」なのか、あるいは「結局はその時の気分」なのか?
    としたら、その「気分」はどこからくるのか?笑

  • #1

    0 (火曜日, 26 3月 2019 13:55)

    「なんだかんだ言っても結局は好みだよね」 うん、賛成。
    哲学の主義主張なんて典型的。実存主義vs構造主義とか実在論vs観念論とか。好みの違いにしか見えない。<=相対主義

    でも、さらになんだかんだ考えてみると、そうでもない気もする。
    つまり「何を好むか」を好みで選べるか?って問題。

    選べない気がする。
    究極の「結局」の現場では、好みで選ぶ「ひと」はまだいなくて
    むしろ起こった選択の結果として「ひと」が生まれてるのでは?

    これは進化論での自然選択の結果として、ヒトが生まれたことに似てるかもしれない。短絡しまくってるけど。
    じゃあ、結局何なのか。

    ローティなら「偶然」スピノザなら「必然」って言いそうだ。
    ついでにライプニッツなら「最善」!!
    「なんだかんだ言っても結局は」+「偶然だよね」、「必然だよね」または「最善だよね」。

    いずれにせよ「ふと、好んでしまってる。」ってありかたは結構好ましい。


第38回 哲学カフェ

「好み(このみ)」ってなに?

2019年3月9日(土)

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