第40回 哲学カフェ

ゆっくりとは?

2019年5月11日(土)

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カフェ・サンラファエルさまの入り口
カフェ・サンラファエルさま

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日 時: 2019年5月11日(土) 13:00~15:00

場 所: カフェ・サンラファエル

    (名古屋市西区名駅2-11-8 ファーストビル大樹1階)

     地下鉄「名古屋駅」1番出口より北へ徒歩5分

テーマ: ゆっくりとは?

進 行: 高橋秀和

参加費: 飲食代実費(440円~)

定 員: 20名

申 込: 事前申申込終了のお知らせ・キャンセル待ちを若干名受付中です

     staff☆nagotetsu.sakura.ne.jp(☆を@に変換してください。)

定員に達しましたら締め切りますので、なるべく事前にお申し込みください。

お申込みがない方も席に余裕がある範囲で先着順でお受けします。お早めにいらしてください。

 

《ご案内》

 日常生活の中でふと思うことがあります。

「ゆっくりしたい・・・」
そんな時に考えてしまいます。
なにをゆっくりしたいのだろう?
どうも今している仕事を時間をかけて行いたいのではない気がする
ではこのゆっくりとはなんだろう?

今回はじっくりとゆっくりについて考えてみたいと思います。
初めての方も歓迎です、どうぞお気軽にご参加ください。

 

―開催報告―

 

なごテツ 第40回 哲学カフェ

  

 今日の哲学カフェのテーマは「ゆっくり」です。

早い速くが求められがちな昨今で、「ゆっくり」と聞くと新鮮です。

いつもですと、次から次へと発言が続くなごテツですが、今回は珍しくゆっくりとした展開に。

そんなゆったりとしたなかでの対話を以下に紹介します。

 

・何かに圧迫されている気持ちを自分のペースに戻したい時。

 しっかりと考えて仕事の質を上げたいときに  ゆっくりしたい。

・ゆっくりすることで心と体の「張り」を緩める。座禅とかヨガとか人為的に緩める。

・不登校の子どもは家でゆっくりしているように見えても、頭の中は「学校、学校」と考え続けていて

 ゆっくりできていない。頭の中を静かにしないとゆっくりできない。

・新幹線ではなく普通電車を使うなど、移動手段をゆっくりすることで過程を楽しむ「ゆっくり」もある。 ・居心地の良さを楽しむ。時間の流れを楽しむ。

・ゆっくりできる条件は、場所、誰と居るか、自分の健康状態、状況、何をしているか、などがある。

・ゆっくりしたいと考えること自体、現実を否定している(このペースではない)。  

 現実でないことを想像して魅かれる。  

(バッファローとか動物も「ゆっくりしたい」などと思うのだろうか)

・「早い世界」が基本設定の世界にいるから「遅い」はネガティヴに聞こえる。

 「ゆっくり」が  ポジティヴに捉えられるのは「早い世界」を否定しているから。

・じっくり、ゆっくり時間をかけて煮詰めるとよいものが生まれる。

・ほっこり、しみじみ、のんびり、たっぷりは「ゆっくり」とは違う?

・遅さ、のろまさを遠まわしに批判する時にも「ゆっくり」は使われる

・「ゆっくり」があたりまえの世界では「早い・せかせか」はダメ。 

 緩急が大事なのかもしれないが職人などはゆっくりに見えても仕事が早い。

・子どもの頃の時間の進み方はゆっくりだった。大人になってあの感覚をあじわいたくてもできない。

(一説によると、大人になると代謝のスピードが遅くなるので、

 逆に外の世界は早く過ぎるように感じるらしい)

・お店で「ごゆっくり」と言われたり「ゆっくりでいいよ」と言われたりするので、

「ゆっくり」は動作スピード以外にもいろんな側面

・使い方がある ・早い=自信がある。ゆっくり=自信がない。遠慮してる

・仕事をゆっくりしたい時、丁寧にしたい、納得してやりたい気持ちがある。

 でも他者と合わせないといけないからできない。他者のことを忘れたい。

・「ゆっくり」は対象への敬意がある。

・ゆっくり過ごしたな、と思っても、過ぎればあっという間。

・「今度ゆっくり話そうね」は、今度たっぷり時間をとろうね、という意味。

「遅い」は単位時間でこなす仕事量が少ないという意味。

「ゆっくり」には時間を自由にコントロールできる良さを感じる。

・日常では「量・数」などで基準がはっきりしているが「ゆっくり」という言葉が出る時は

「質」が満たされることを欲している。

・「ゆっくり」は汎用性がある言葉だが、「遅い」「のんびり」「じっくり」などはそうでもない。

 時間も行動もバランスよく落ち着きたいイメージがある。

・鉄道が遅れるとは言うけど「ゆっくり来ます」とは言わない。

・「ゆっくり」は、主観的。

・「ゆっくり」からは「のんびり」もイメージされるが、

 能とかダンスでは動きがゆっくりでも全神経を集中しているので「のんびり」というレベルではない。

・気持ちを切り替えてゆっくりしたいと気づくのは、

 ポジティヴにゆっくりしようという気持ちが生まれるから。

・普段は置いてけぼりにしているが本当は気づきたいものがある時「ゆっくりしたい」と思う。

 心が置いていかれる不安から。

・食事ならお腹を満たすだけではなく、匂い、雰囲気など深みのあるものを求めたい時、

 ゆっくりしたいと思う。

・心のチャージ。仕事でも「しっかりやった」みたいな精神が欲しい。

・レジャーでも「ゆっくり」ではなく意外とがんばってしまっている。ゆっくりって難しい。

・体と心、魂のスピードを合わせたい時、ゆっくりしたいと感じる。

・たとえゆっくりできる時間があっても「〇〇のために〇〇しよう」となりがちで

 なかなかゆっくりできない。

・バスでいいのに新幹線に乗ってしまうのは、

 移動にかかる時間をもったいないと感じてしまうからなのか?  

 ゆっくりすればいいのに・・・ ・何か「とりこぼし」感がある時、ゆっくりしたい。

 楽器でもゆっくり弾くとダメな所がよくわかる。早く弾いても気づかない。

・「今度ゆっくりしたいね」というような言い回しはいつから始まったのだろう?戦後?

・父母は「早くしろ」と言うけど、祖父母は「ゆっくりしていけ」と言う。

・「ゆっくり」は時間に関する言葉ではないのではないか?  

 未来を考えてやっていることは「ゆっくり」ではなくて、

 未来でも過去でもなく「今ここ」ですることに対して「ゆっくり」という言葉は使われる。

・自律神経をバランスしたい時「ゆっくり(副交感神経)したい」と思う。

 普段は緊張状態(交感神経優位)だから。

・自転車と車では自転車の方が「ゆっくり」だが、車の方が「のんびり」はできる。

・「ゆっくり」は新しい経験?

・「ゆっくり」は余裕をもちなさいという意味ではないか

・ゆっくりと効率は両立するのだろうか?日本人は効率はよくても生産性は低い。両立できる気はする。

・余計なことをしないと効率がいい。自分のことだけやり続ければゆっくりやれる。

 余計な情報まで聞くと効率はわるくなる。

・「ゆっくり」の反対は「忙しい」?別の視点から自分を観ると「忙しいんだな」と自覚する。

 近代にできた言葉だろうか。

・ゆっくりやると間違いが少なくて効率がいい。スムーズに進む。

・職人の動きがゆっくりに見えるのはムダな動きがないから。準備をきちんとすると忙しくならず、

 なめらかに動ける。

・「ゆっくりしたい」と思わないでいられることは「しあわせ」だ。

 たとえバタバタしているように見える人でも、本人が「ゆっくりしたい」と思わないのなら。

・時間の流れって自分の中でゆっくり感じる時と早く感じる時と2通りある。

 忙しくしてる方が早い。何もしてないと遅い。

・充実感は忙しくしている時の方が感じられてうれしい。「ゆっくり」がいいとも限らない。

・ゆっくりすることで感じられる充実感もある。

・「忙しい」と「退屈」は同時に生まれたのか?農耕が始まった頃?(食べるものに困らなくなってから) ・年末掃除、ゆっくりやった時に達成感があった。

・やる事をたくさんこなして充実していたような一日でも「たいくつ」だった日はある。

・自分が本当に満たしたいニーズを満たせていないと、忙しくしていても充実感はないのではないか。

 自分のニーズを知りたいと思う時間を欲する気持ちが「ゆっくりしたい」と思う。

・ゆっくりしている時間は自分が好きという状態。

・瞬間的に「今ゆっくりしてるな」と思っても、振り返って「ゆっくりしてたな」とは思わない。

「のんびりしてたな」「充実してたな」と感じる。

・ゆっくりしている時に「ゆっくりしてる」とは意識しない。満ち足りている時には意識に上らない。

「ゆっくりしたな」と過去形で現れる。

・友人と話していて会話が途切れても心地よい時「ゆっくりしてる」感がある。

・「余裕」ってなんだろう?ある事とある事の間に「空白がある」という事では。

 仕事の合間のきれいな景色発見とか、何かと何かの間にしか「余裕」はない。

「空白」だけでは感じられない。

・ゆっくりしている時、ゆっくりしているとは感じられない。

 ドーナツの穴みたいな、何かと何かの間に「ゆっくり」がある。

・意識に上らないボーッとした時間に自分を託している時「ゆっくりしている」。

・ありえないタイトな時間の仕事に少しだけゆとりができた時、

 その状態でも忙しすぎるくらいなのに「ゆっくりできる!」って思えた。

・「ゆっくり」は相対的。早いものがあるから「ゆっくり」がある。

・「ゆっくり」が認められるには人と人の関係もある。

・どう生きるべきかにしばられているが、もっと自由を感じられるといい。

・自分のペースに合うのがゆっくりだと思っていたが、「ゆっくりさせてもらう」というのもある。

・ゆっくりした動作には「美」を感じることもある。

 見た目だけではない品格など、目には見えない美しさが「ゆっくり」の中から現れる。

  

(作成: なごテツ世話人 水野生惠、荒井豊)

コメント: 1
  • #1

    Mn3 (火曜日, 18 6月 2019 22:39)

    先日、新聞に村上陽一郎が好きな言葉として
    ラテン語で『ゆっくり、急ぐ』
    というのがあると載っていた。
    このような相反する言葉をつなげると
    『ゆっくり』のマイナス的意味や
    『急ぐ』の負的側面は濾し取られ
    両語の良い意味だけが訴えかけてくるから
    不思議なものだ。
     わたしは毎日を『ゆっくり急いで』過ごしているだろうか。
    自分の人生を『ゆっくりと急いで』旅しているだろうか。
    死は確実に『ゆっくりと急いで』近づいているのだろうか。
    含蓄に富む言葉なのだろう。


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