■ 第46回 哲学カフェ←Googleカレンダーに追加
日 時: 2019年11月9日(日) 13:00~15:00
場 所: カフェ・サンラファエル
(名古屋市西区名駅2-11-8 ファーストビル大樹1階)
地下鉄「名古屋駅」1番出口より北へ徒歩5分
テーマ: 仮面
進 行: 寺井哲治
参加費: 飲食代実費(440円~)
定 員: 20名
申 込: 申し込み終了
staff☆nagotetsu.sakura.ne.jp(☆を@に変換してください。)
(定員に達しましたら締め切りますので、なるべく事前にお申し込みください。
お申込みがない方も席に余裕がある範囲で先着順でお受けします。お早めにいらしてください。)
《ご案内》
【仮面】
その場、その場であなたに求められている役割、その役割を上手に演じることができているかはわからないけれど、 私はいくつの仮面を使い分けているのでしょうか。その仮面の下には、どんな自分がいるのでしょうか。 本当の自分は大切ですが、本音がぶつかるばかりの社会もあまり良くないような気がします。 更に、考えると本当の自分とは何だろうと思います。
第46回 仮面
季節もすっかり秋だと感じる今日この頃、哲学に思いを寄せるには
ちょうどよい時期かもしれません。
さて、今回のテーマは「仮面」です。哲学カフェに集まってきて
くださる皆様も、もしかして仮面をつけているのかも。
さて、いつもの如く、対話の内容の一部をご紹介しましょう。
・仮面ということは、言い換えると情報の非対称性である。
仮面をつけることによって、相手に対してはその中の情報を与えていない。
それを与えないのが、威圧感、恐怖だったりする。
医者、警察官などは、情報を与えていないのに、こちら側の情報を知っている。
例えば、マンションに盗聴器があった時に、恐怖感が出てくる。
仕掛けた方は明かされないが、聞かれている方は情報をさらけ出している。
→盗聴器も仮面現象と言えるのでは。
→ネット(SNS)上での匿名で参加している人と実名で顔出ししている人がいる匿名は仮面?
・SNSでの実名での参加者の中には、匿名での参加者に不満を持っている人がいる。
・実名で顔出ししているからと言って、必ずしもまともなことを言っているではない。
・ペンネームも匿名だが、それを使い続けることによって、そのキャラクターとしての責任が生まれる。
一貫性が求められる。
・哲学カフェや職場・家庭のそれぞれの場所で見せる顔がある。ただし、私は一人である。
仮面をつけることによって、役割を担っている。それで社会が成り立っているのでは。
・自分がこう見られたいという仮面と相手の希望に合わせる(社会の要望?)仮面の二つあるのではないか。
・仮面には、自分を隠す、表現する。二つの機能がある。能の仮面は感情を仮面で表現する。
・その人が一貫性を保障するために、仮面を使うことがある。
・初対面の人に対しては恥ずかしいのでマスクをつけて自分を隠してしまう。
瞬間的な仮面(マスクという物理的ないもの)と恒常的な仮面がある。
・鏡のように周りの状態によって、表面が変わる。
その鏡に周りが写っているだけである。
・猫かぶりの仮面は、自分で意図して外すことができるものなのだろうか?
・仮面は自然と被らせられているのではないだろうか。
その状態(その表面)こそ本当なんだろう。
→仮面と自分を分けることはできないのではないか?
KYというのは、鏡の表面がボコボコしているから、たまたまそう振る舞うのではないか。
・小学校に行った時にはいい子にならなければという仮面をかぶった。(生まれた時は仮面がなかった。)
社会人になった時にはそれが普通となって、それが自分となった。
→家にいる頃は仮面ないが、小学校に行くと次々と別の仮面が出現する。
・仮面夫婦・・・仲良さそうなのに、実は仲が悪い。
社会的にはそう振る舞っていた方が、ありがたい。うまく行くので悪いことばかりではない。
本音の方が付き合いにくいこともある。
→人間は基本的に自己中なので、それらが集まったら、集団がまとまらない。
仮面をつけて、まとまるならそれで良いのではないだろうか。
→みんなが仮面を付けたら、世界平和が実現するのでは?
・お客様に合わせて仮面を付け変える研修を受けたことがある。しかし難しかった。
なので、自分にあったお客様を探して営業をしていた。
・猫をかぶっているということは本音が見えないので、一対一の時には困る。
(組織においては必要なものではある。)
→仮面はある程度うまく回すことに機能があるが、行き過ぎると嘘くさくなる。
・仮面舞踏会・・・みんな楽しそうに、普通ならできないような恥ずかしいこともできていた。
仮面によって本当の自分を晒すことができるのではないか。
→ハロウィーンの時は、みんなどんちゃん騒ぎをした。
・生身の自分ではできないけど、仮面を付けることで自分の中に溜まっているものを吐き出すことが
できる機能がある。
→結婚するためにお互いをよく知ろうとするために会っているのに、お見合いの時には仮面をかぶっている。
・世界平和のための仮面をかぶると、確かに平和になるだろうが、個々はすごいストレスを持つのではないか。
だから、結局、爆発して平和にならないのではないか。(地下でマグマが溜まって行く。)
→複数の欲望が共存している状態なのではないだろうか。自己実現など。
欲望自体が力を競っている中で、どの欲望が優っているかどうか。
・本当の自我が仮面をつける。(自我理論)
・束理論・・・人間というのは感情の束である。
束理論を用いると、どちらの感情が正しいかなどはあり得ない。
感情のバランスが崩れた時にその方向に行く。(自我はなく、優劣はない。)
・本当の自分があるのか。仮面しかないのか。本当の自分に仮面をつけているのか。
本当の仮面とうわべの仮面として、捉えていた方が将来予測的としては良さそう。
・本当の弱い自分を見せることができるか。。。
仮面をかぶって、強く見せるのか。
→仮面ライダーは、敵と戦う時は仮面をかぶるが日常の時は、仮面を被らない。
でもアンパンマンは日常でも本当の自分に戻らない。
なぜ、正義のヒーローを演じるには仮面をかぶる必要があるのか。
・かさぶたとしての仮面がある。しかしその中で余計に傷が膿んでしまう。
・スイッチを入れるという面もあると思う。ある振る舞いをするときに仮面をかぶる。
・ファッションも仮面ではないか?
・化粧も仮面ではないか?
→CAさんは化粧をすると気合が入る。
→会社によってはノーメイクはNGだったりもする。
・外に出る人にとっては必要なのではないか?
→世話人も進行役をするときには服装を考えている。
・私のこの顔は仮面。これになるまで20年かかった。
昔は頭はボサボサで無精髭だった。ある日自分をみたら、指名手配の犯人みたいだった。
→仮面もかぶり続けると顔から剥がれなくなる。
・高校生の時に不登校になった。
→このままだとマズいと思いたった時に、髪型やファッションを思いっきり変えた。
その仮面をかぶることで、高校に行くことができた。
・仮面は視覚効果が強い。
被ったものが自分になってしまう。
脱皮と逆のこと。(着皮?)
パーツを拾い集めて、どんどん変わって行く。
どんどんつけて行くと、本当の自分から遠ざかって行くだろう。
・仮面を好きなようにつけられるわけではない。つけることができる素養も必要
→自分がそうなりたい理想に対して、仮面をつけて近づいて行く。。
いつの間にかそうなっていることもある。
・正義の味方が仮面をかぶっている。
なぜ→正義というのは日常の延長線上ではできないのではないか?
・世間から浮かないための仮面と世間から浮くための仮面がある。
・だいたいの人は、本当はしたくない仕事をやっているが、日々の生活の中で
それを許容してしまう。それが怖い。
→社会から反発するために仮面をかぶっている、暴走族など、
自分がしたいわけではないけど、社会状況の流れからそうなってしまっている。
・着皮ではなく、脱皮ではないか?自由になる脱皮だったのではないか?
(自分がどこにたつかで景色が変わる。)
→人は見かけによるもの、人は見かけに頼るもの
オペラ座の怪人・・・仮面の下を顔を見た時にクリスティーナは離れて行く。
仮面も必要ではないかなと思う。
・仮面のエッセンス
物事をスムーズに進めるために必要なもの。(何に対して、スムーズのなのか?)
・本質はどうであれ、表面に現れるものが仮面。
・仮面と別の自分がある。仮面には願いがある。
・仮面とは嘘。どういう種類の仮面であろうが、嘘である。
・仮面は他者があって、初めて成り立つ。
表面と他者が必要なのではないか。
・人格の重層が表現される(人生の経験値によって、自然に出てくる。)
・仮面によって変身する。変わるものと変えるものがある。
・人の前では、透明の仮面をかぶっていると思える自分がある。
これが本当の自分と思う。
→素の自分を出せる他者がいる人は幸せだと思う。
・役割に対して、窮屈だと仮面になりそう。無自覚なら仮面にならない。
・被っているか被らされているのか。意識しているか。していないか。
・透明な仮面とは何でしょう。
→今までは仮面を被っていたけど、その仮面がその人本人になっていたこと。
→仮面は仮面。相手のために演じている仮面と自己実現のための仮面が一致していること。
→何かを隠したり、何かを表現することが仮面だと思う。
自己がなければ、仮面が透明になると、認識されないのではないか。
→色んな仮面の複合体の全体。つまりある場面において色んな仮面がある。
透明な仮面は一つではない。
→人は他人である以上、理解をすることは無理。それをわかっていないければならない。
その人と向き合っていく姿勢で臨んでいくと、透明な仮面になって行く。
→束論の束(花束の包み紙)が透明になったとしたら、感情一つ一つが見えるようになった状態ではないか。
仮面の話は奥が深いようですが、ここで終わりとなりました。