第57回 哲学カフェ

【幸福の基準】

2023年11月11日(土)

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カフェ・サンラファエルさまの入り口
カフェ・サンラファエルさま

対面

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日 時: 2023年11月11日(土) 13:00~15:00

場 所: カフェ・サンラファエル

    (名古屋市西区名駅2-11-8 ファーストビル大樹1階)

     地下鉄「名古屋駅」1番出口より北へ徒歩5分

テーマ: 幸福の基準

進 行: 寺井 哲治

参加費: 飲食代実費(440円~)

定 員: 15名

申 込: 終了

内 容: 朝、起きた時体の調子が良い。こんなところから幸福が始まるのかもしれません。

     私は、幸福や不幸の基準は、自分自身が決めるものだと思うのですが、

     皆さんはどうお考えでしょうか?

  

           今回は【幸福の基準】についてみなさんと考えてみたいと思います。

  主催:   なごテツ(https://nagotetsu.jimdo.com/)

 共催:   カフェフィロ(http://cafephilo.jp/)


テーマ:「幸福の基準」

 

秋の深まりを感じる今日この頃、今回の哲学カフェも、前回に続いてたくさんの参加者に恵まれて活発なやり取りとなリました。今日のテーマは、幸福の基準です。対話の時間が、参加者の幸福なひとときとなれば嬉しいですね。

 

それでは、対話内容の一部を以下にご紹介します。

 

・幸福の基準は低い方がよい。

 基準を高くすると周りに左右されてしまう。

・最も不幸な状態は愛する存在がなくなること。それが不幸だと思う。

・子供の頃は幸福だった。悪いと思うことが無かった。

 悪いこともあったが、すでに消去されている。

・幸福とは、不安がないこと。

・幸福の基準とは、自分と他人の相対的なものなのか?

 それとも自分だけのものなのか?

 幅は人によって違うが、その真ん中ぐらいのところかも?

・子供が生まれた瞬間に、全て不安になった。

 社会的な痛みが、自分に直結してしまった。

 それ以来、安心して寝れない。が、幸せではある。

・愛するものがあるが故に、不安が生まれる。

 幸せが不幸を呼び覚ます。

・不安は不安定。不安がない時期は、その不安を誰かが肩代わりしてくれていることで守られている。

 しかし、肩代わりされていると、幸せになれないという矛盾がある。

・幸福には、絶対基準と相対基準がある。

・幸福も客観的にわからない世界を埋めていく事が重要。

 良い景色をみると幸せを感じるように、異なる視点の幸せを感じることで埋める事ができないか?

・幸福について、考えたことはない。しかし、不幸ではない。

 いままでに様々な病気をしている。

 でも、不幸でない。病気をすることで、いろいろと話の種が増えている。

 本人はそれを不幸とは感じてない。

・動物は、幸福を感じるか?

 人間だけがメタな視点から自己を見る事ができるから幸福を感じることができるのではないか?

・普段から幸不幸を考えない。

 人が亡くなった時は、ただ悲しいという感情しかなかった。

 なので、幸不幸はメタなものではないかとおもう。

・感情以外のところから、幸福感は生まれるかだろうか。

・何事かに夢中になっている時は、幸福な気がする。

 その時は、幸福感は感じていないが。

・人はひもじいとネガティブな事ばかりを考えるが、たくさん食べて満腹感があるときは幸福感が持てる。 ・とにかく、美味いものを食って、風呂入って、暖かくして寝ろと言われた。

 次の日、さっぱりして忘れた。

・ソフトウェアのマネジメントの場合だと

 わがままなチームは成長しないし、幸せそうじゃない。

  傾聴するチームは成長するし、幸せそう。

・傾聴で聞いてもらっている人が幸せなのではないだろうか?

・幸福の定義はできないだろうと思う。

 基準を作ることは難しい。

 1000万円あれば、幸せだろうか?

 2000万円の人と比べるとどうだろう?

 宝くじを買えばみんな当たると思って、当選日までは幸福感に溢れている。

・幸福の基準は抽象的なので、どうしても相対的になってしまう。

 綺麗なものを見ても、綺麗なものを見ていない場合の自分と比べてしまう。

・幸福は欲望と結びついているところがあるのではないか。

・幸福の基準を考えるときに、満たされないときに幸福と思うことがあるのだろうか?

 幸福とは常にプラスの方向のものだろうか?

・日本の子供の幸福度が低いと言われている。

 物質的には恵まれていて満たされている。

 しかし、不登校が増えていて、なぜか幸福を感じられない。

 何かの欲望を満たす過程に幸せを感じるのかなと思ったが、今はそれがない。

・フリーの大工の職人。

 初め30万→60万→120万→240万と収入が増えていったが240万で飽きてしまった。

 儲けるのに、ストレスがかかって、自律神経失調症になった。

 その後、一年間は遊んだが、金しかない貧乏人と言われた。

 ミュージカルや美術館に行くようになって、こういう人生があるのかと思った。

 今、収入が全くなくなった時を思い出すと、ホッとして、それが一番幸せだったのかなと思い出す。

・断捨離。出家。

 それは、幸福になるために行っているのだろうか?

 欲望に突き進む時も幸福だが、それをリセットすると憑き物が落ちて、ゼロになる幸福がある気がする。 ・宗教、野心、何も持っていない。

 宗教的な幸福とはなんだろう?

 出家するとは、全て捨てていく。

 宗教的な幸福感とはどこにあるんだろうか?

 神への依存心ではないか?

・子供が親に守られていることが幸せだった。

 それに似ているような感じがある。

・仏教徒の私にとって、仏教とは。

 仏は宇宙であって、私たちも宇宙の一つである。

 私という個人はいつか消滅する。

 今、一瞬一瞬を自分と向き合って、選択して、何が起こるかわからないが、

 その覚悟を持って、仏として、生きる。

 何が起こるかわからない。とりあえず、やって見て、後で考えよう。

 良いことも悪いこともなく、淡々と生きようとすることが私の中の仏教。

・赤ちゃんは、自分のことを幸福とは思わないと思う。

 振り返らないから、幸福感も感じない。

・時間は現在しかない。過去も未来もないと同じである。

 私と世界の関係もないので、私と世界も同じである。

 幸福とはメタ認知というのと似ている。

 幸福はメタ認知がなくても成立するが、認識するにはメタが必要である。

・出家しようと思って、頭を丸めようと思った。

 頭丸めたくらいで、坊主になれると思うなと入門を拒否された。

 宗教とは、自分で幸福を考えることを諦めた人が入るところかな?

 めんどくさくても、自分なりの幸福を考えるのが現世なのかな?と思った。

 死ぬまでに幸福かどうかなんてわかるか。

・他の人との関係の中で感じる幸せがある。

 例えば、家庭では、子供が幸せなら親もうれしいと感じる。

 みんなが幸せだったら、自分も幸せ。

 広がった幸せという周りが補強してくれる幸せがある。

 

などなどです。

さて、あなたの幸せの基準は見つかりましたでしょうか。


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