第56回 哲学カフェ

【所有とは?】

2023年10月14日(土)

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カフェ・サンラファエルさまの入り口
カフェ・サンラファエルさま

対面

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日 時: 2023年10月14日(土) 13:00~15:00

場 所: カフェ・サンラファエル

    (名古屋市西区名駅2-11-8 ファーストビル大樹1階)

     地下鉄「名古屋駅」1番出口より北へ徒歩5分

テーマ: 所有とは?

進 行: 高橋 秀和

参加費: 飲食代実費(440円~)

定 員: 15名

申 込: 受付中

内 容: ある日、スマホにサービス終了のお知らせが届いた。

           年末で、スマホで家電を操作する機械が動かなくなるようです。

          人が買った物になにをしてくれるのかと怒りがわきましたが

          改めて考えてみると私の物とはなんでしょう?

          所有している家電は電気が止まれば使えなくなってしまう。

         ガソリンがなくなれば、法律が変われば、・・・・。

  

         今回は【所有】についてみなさんと考えてみたいと思います。

  主催:   なごテツ(https://nagotetsu.jimdo.com/)

 共催:   カフェフィロ(http://cafephilo.jp/)



テーマ:「所有とは?」

 

やっと秋らしい日々がやってきたこの頃ですが、暑さがひと段落したおかげなのか今回は人数も多く、ちょっとした賑わいの中での始まりとなりました。

さて、今回のテーマは「所有とは?」です。

普段はあまり意識しない所有についてですが、どんな拡がりがあるのやら、以下に対話内容を記載します。

 

以下に、発言内容よりいくつかをご紹介します。

 

・小さな物のように、具体的に手に持つということの他に、土地を所有する場合のように、権利としてもつ 

    ことにより他者から守ってもらうこと。

・奪われる可能性があるので、国家に財産を守ってもらう契約、このため徴税や徴兵がその対価として課さ

 れる。

・デジタル家電のように、サブスクリプションサービスによって、アカウントによって自分のデータにアク

 セスできるという所有もある。

・社会が所有者に対して、そのものを自由にしてよいとの許可を与えている。

 社会が所有を規定して許可を与えている、その許可が与えられていることを所有しているという。

・自分の体は自分が所有していると思っているが、病気やケガなど思い通りにならないことも多い。

 所有という言葉や概念を私たちはどのような幅でつかっているのだろうかと思う。

・所有は領域的な感じ、分けること、守ること。

 自分と他人を隔てる何かのこと。

 自分の領域に他人が入ったらイラつく。

・ペットを所有していたら。そのペットをどのように扱っても良いというわけではなく、社会がどのように

 扱っていいかを規定して付与している。

・土地を所有していても、知らないうちにそこに家が建って人が住んでいたとすると、勝手にその人を追い

 出してその家を取り上げることはできないし、そのまま放置しておくと、ずっと住んでいる人の土地にな

 ってしまう。  

 所有は、所有している人が所有しているものを使える状態で管理していることが重要な条件となってい

 る。  

・車の車検証には所有者と使用者が記載されていて使用者が勝手に車を売ることはできない。

 必ず所有者の承諾が要る。

・サブスクリプションやレンタルは所有とは何が異なるのか?  

 サブスクは物の提供はサービスの一部、レンタルは物を借りている代金であって、物そのものに対する権

 利はない。

・病気で死にかけたときに、自分の命も自分のものではないと思えた。

 何もいらなくてよいと思う。

・所有には何らかの条件が付く、家を買っても税金を払えないと持っていかれてしまう。

・自分自身が所有することで自分と他とを分かつことができる。

 その拡張が他のモノの所有ということ。

・所有は人間が考えた概念、自然にはその概念はない。

・共有はだれの所有なのか。  

 シェアリングもだが、自分と他者の境がなくなっていく。

・動物もナワバリを持っている

・アイデア、知的財産も所有がある。  

 アイデアの所有という概念は比較的最近の考えで、今でも認識されていない地域がある。

・共有は物が乏しい時代は当たり前の概念だったのでは?  

 豊になって物が容易に手に入るようになったことで所有が一般化したのではないか。  

 服も兄弟のお下がりを着ていたりしたし、昔は電話が各家庭にはなかったので、あるうちに借りに行くの

 が普通だった。  

 個人を意識するには共有だと意識しずらい

・本来は私たちは何も所有して居ないはずなのに、何らかの対価を払って得たものを手放すことが怖くなっ

 て所有することとなった。

・どうしてお金を払ってでも所有したいのかと考えると、喜びを得られるからだとおもう。  

 マイホーム、マイカー、お下がりではなく新品を買ってもらえることが嬉しい

・昔、金持ちがゴッホの絵を買って死ぬ時に一緒に燃やしてくれと言って問題となったことがあった。

 人類の共有財産だから買ったからと言って燃やすなんてとんでもない。

・ゴッホの絵をゴッホ自身が燃やすことは許される。私が作ったものを私がどのように処分しても問題ない

 が、私が産んだ子供をどのようにしても良いとはならない。

・空気は誰のもの。社会が許可を与えたら所有できる。。

・空気は所有できないが、山は所有できる。

 この違いは何か。

・ゴッホの絵は燃やすと怒られるが、名もない作家の絵はよいのか。

・管理できる状況を作ったら所有することができる。

 ここからここまでという範囲が明確になればよい。

 空気もボンベに入れれば所有できる

・文化として認められたものは自分の物でも勝手にできない。

・古書のコレクターの方の話で、高価な古書を購入しても,いずれは市場に返すという感覚がある。  

 それではどこに所有する意味があるかというと自分の古書コレクションをカタログにする時に、自分はこ 

 ういう考えをもって古書コレクションをしていたということを残すことができるのことに意義を感じてい 

 る。

・所有するというのは自分の範囲が広がること、所有は喜びという話があったが、喜びを見える化したもの 

 が所有ではないか。

・ゴッホの絵も誰が所有したという記録が残る。

 その歴史が価値をもつ。

 法隆寺の個人的な落書きも時間がたつと価値が出る、そうやって考えてみると共有すべきものも価値があ

 る。

・大きな地震がきて大きな岩が他所に移動してしまった場合はその岩は誰のものか。

・ゴッホの絵は社会がその所有者に何をしても良いとしているので問題となる。

 社会が許可を与えれば問題ない。

 法律による所有物と社会一般でいう所有の概念が異なる。

・歴史性をもってしまうと文化財というくくりになってしまう。

 例えばもっている茶碗がそんままでは古びた茶碗だが、豊臣秀吉が愛用していたということになれば歴史

 的な価値が付く。

・すべて自分のものという感覚、宝石もデパートに預けておいてあるだけという感覚だと満足度が高い。

 オークションでゴッホの絵を購入する人は購入することに価値を感じているのではないか。

・豊な暮らしは自分の権利を自主的に放棄できること、芸術家の絵を買ってそのまま美術館に寄付できるこ

 とが豊さなのではないか。

・共有よりも所有を求めるのは自己防衛、

・家族の間ではトイレは共有だが、朝の忙しいときに占拠されるととっても困る。

 そうすると10分以内というようなルールができて制約を設けるが、それが守られないとケンカになる。

 共有は争いの元となる場合がある。

・イギリスに行ったときに公園はParkではなくCommonと書いてあった。

 これから派生したのがCommunity、Communication、そこに住んでいる人はCommunistということにな

 り、財産は共有財産となる、

・お金も自分のお金というが、紙幣と勝手に燃やしたりすると罰せられる。

 日本銀行券と書いてあって私のものではない、

・贈与ということがあるが、自分が手放しているのにそのものがどのように扱われるかが気になるというの

 はどういうことなのだろうか

・所有はフィクション。

 

などなどです。

なぜかゴッホで盛り上がってしまいました。

共有できるパワーワードがあると対話もはずむようです。

 

 


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