第53回 哲学カフェ

【悪意とは?】

2023年7月8日(土)

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カフェ・サンラファエルさまの入り口
カフェ・サンラファエルさま

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日 時: 2023年7月8日(土) 13:00~15:00

場 所: カフェ・サンラファエル

    (名古屋市西区名駅2-11-8 ファーストビル大樹1階)

     地下鉄「名古屋駅」1番出口より北へ徒歩5分

テーマ: 悪意とは?

進 行: 高橋 秀和

参加費: 飲食代実費(440円~)

定 員: 15名

申 込: 終了

《ご案内》

お腹が減ってどうにもならない時

食べ物を盗むことは悪事であり悪意ではない

具体例をあげていくと意外と切り分けていけそうです

では相手に罰を与えたいと考えることは悪意なのでしょうか?

それとも正義なのでしょうか?

今回は【悪意】についてみなさんと考えてみたいと思います。

 

初めての方も歓迎です。どうぞお気軽にご参加ください。

 

主催:   なごテツ(https://nagotetsu.jimdo.com/)

共催:   カフェフィロ(http://cafephilo.jp/)



悪意とは?

 

ちょっと普段はあまり口にしない言葉のせいか、あえてテーマにしてみますとなかなかとらえがたいもののようにも思います。 善意による行動が、必ずしも良い結果になるわけでもなく、悪意による行動が、必ずしも悪い結果になるわけでもない。

悪意とは、いったい何なのでしょうか?

さて、今日の対話はどんな展開となりますやら。

 

対話内容の一部をご紹介します。

 

・もらったものが嫌いなものだった‐知っていたら悪意

・法律の上の用語では、知っていることは悪意、知らなかったら善意

・物には悪意はない

・法律上の善意・悪意はどちらかに必ず分かれる

・盗まれたものを買うのは悪意

・人間の意識に対するものが善意と悪意に分かれるのか(正しいか悪いかではない)

・日本では、悪いことを実際に行った人よりも、悪いことをするようにそそのかした人間を非難する。

・相手の思いを中心にみるか、ものそのものを見るか。

・自分は好きか嫌いかで生きてきた、良かれと思って言ったことや、やったことが、相手しだいで、感謝さ      れることもあれば、怒られることもある。

・自分が悪意だとおもってやっても、相手に喜ばれることもある

・悪意の構造をいじめの場合で考えると、いじめるようにそそのかした人間、実際にいじめた人間、いじめ      られた人間、周りで見ていた人間がいる。悪意はどこにあったのか。

・悪意とは意図の存在、悪意という意図がある。意図に対する評価が悪意。

・悪を発生する意図を持つ、他者に対する悪意が自分にとっては善意の場合がある。

・受けた当事者でしか悪意は感じられないのではないか。

・現場の職人から、お前みたいな人間が大工になるとは。。。思ったことを言われた(悪意なし)

・一人前の大工になるにはどうしたらよいかと聞いたら、とにかく練習だと教えていただいた。(善意)

・お客様に毎日練習練習で頑張っていますと言ってしまった(悪意なし)ところがお客様からは、おれがロ      ーン抱えて建てた家がお前の練習材料かと激怒された。

・悪意がなくても人を怒らせることがある。悪意・善意は難しい

・自分に対する悪意は存在しない

・悪意をもって意地悪してやろうとおもったことはある(被害者意識が強い人に対して)

・時代と悪意の関係。顔が見える関係であれば怒られて終わる。無言電話のような顔の見えない悪意は気持      ちが悪い

・ネット上の発言。悪意が増幅されている

・悪意-誰かを貶める、やっつけてやる、邪魔してやろう

・悪意を秘めた優しい言葉

・1つの出来事に対して善意

・悪意を簡単に判断できないのでは

・客観的に見て判定できる。オンタイムでは判断できない?

・京ことばのような嫌味は悪意?

・悪意は受け取る側がどのうように解釈するかによる

・悪意を持って行えば悪意と認識できるが、善意をもって行っても結果が悪ければ悪意と認定されることも      ある

・想像力がカギ、自分の想像の限界をこえて考えられるかがポイント

・人間、死ぬか生きるかの瀬戸際では考えられない。死にたいと思っていてもいざとなると救急車を呼んで      しまう。

・冷たい言葉の裏にその人の悲しいできごとがあったのでなないかと想像する

・悪意と受け取った内容が事情があった言葉が足りなかったという斟酌する事情もなく、純粋な悪意という      ものがあるのでしょうか

・情報が追加されて受け取り方が変わることがあるが、追加情報が無くても変わることもあるし、解釈が変      わる。悪意をどのように定義するのかにかかわってしまうのではないか

・自分が絶対に正しいとおもっている人が自分と異なる考えを持っている人に対したときに、その言動は悪      意の塊のような人に感じた。

・歴史とか文化の影響もあるのでは。

・その人が失敗することを知りながら教えてあげないで失敗させて笑うことは悪意

・善意の塊の無言の暴力-10代で間違った道に進もうとしたときに、無言で殴られた。

    あれは俺なりのスキンシップたったと後でいわれた。

・本当のことはわからない、その人の解釈しだい、考え方次第では。

・たいがいの人は感情に合わせて何も考えないで発言している言葉を、受けた人はその時の状況に合わせて      受け止めているだけ。

・知らないことは悪ではない、知ろうとしないことは悪

・子供のころ、嘘をつくのが悪意の始まり

・自分が好きで食べたいと思ったから弟の分も食べた。欲望のままに生きる人に悪意はないが悪事は行う。      自分の思いのままにふるまうのはよくないと分からないと悪意には気づかない。

・非行少年が相手にけがをさせた あいつが悪いから懲らしめた 正義と思っている。

    法律とは別の規範になっている 悪意とはだれが決めるのか

・自分が悪ことをしたと反省したときに自分の中に悪意があったと気づく

・犯罪者の話を聞くと悪とは全く思っていないことがある、心を育ててからでないと悪意が分からない。

・自分の悪意についての話がないのが不思議。

・子供が子供の時に子供っぽいのは悪ではない、大人になって幼児性(やりたいからやった)が発揮される      のが悪。

・行為の種類分けをしたときに相手を陥れるための行為

・自分のためにするか、他人のためにするかで別れる。 。

  

などなど、対話は続きました。

 

(作成: なごテツ世話人 荒井)


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