第50回 哲学カフェ

【泥じあい】

2023年4月8日(土)

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カフェ・サンラファエルさまの入り口
カフェ・サンラファエルさま

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日 時: 2023年4月8日(土) 13:00~15:00

場 所: カフェ・サンラファエル

    (名古屋市西区名駅2-11-8 ファーストビル大樹1階)

     地下鉄「名古屋駅」1番出口より北へ徒歩5分

テーマ: 泥じあい

進 行: 荒井 豊

参加費: 飲食代実費(440円~)

定 員: 15名

申 込: 終了

《ご案内》

 当事者以外から見ていると、どうでもよいからはやくやめたらとおもうようなことでも

 いったん始まってしまうとなかなか止まらないのが泥じあいのようです。

 何気ない一言、ちょっとした見栄の張り合いなどなど。始まりはさまざまのようですが

どうやって収拾したらよいのかと困ってしまうのもいつものこと。

 今回は、この泥じあいについて対話していきたいと思います。

 

初めての方も歓迎です。どうぞお気軽にご参加ください。


―開催報告―

第50回 泥じあい

 

 今までの隔月で開始していた臨テツから定例会に移行しました。

さて、今回の参加者は世話人含めて6名です。

哲学カフェとしては多すぎず少なからずというところ。

最初に泥じあいを見たことがないので事例を紹介してほしいとの発言があるなど、意外と泥じあいという言葉は身近ではないようでした。

まあ、身近でも困るのですが。。

さて、どのような展開となりますことやら。

 

それでは、対話内容の一部を紹介します。

 

・泥じあいは泥試合にあらず、泥仕合が正しい

・関係が近い、縁を切れないから泥じあいになる。

・価値観が近いから、ちょっとしたずれで泥仕合になる。完全に違えば話にならない

・似ているが故に近親憎悪する。

・お互いに嫌いということがある。これくらい理解してくれよという感情がある、

・上司と部下のように力関係に違いがあると泥じあいは起きない。

・家族だからこそ我慢してきたことがあって、それぐらいわかれよという気持ちが些細なことから泥じあい        

 に発展する

・泥じあいをコミュニケーションの1つとして楽しんでいるという側面もあるのでは?

・泥じあいはなかなか終わらないというイメージがある

・泥じあいは感情的なものと思う

・お互いの関係に歴史性がある

・泥じあいを続けていくと修羅場になっていく

・泥あそびのように、泥はこどものイメージで、子供っぽさがあるから泥じあいで、片方が大人になって対             

 応していれば泥じあいは起きないが、そのことが続いていくと、いつかは堪忍袋の緒が切れる。

・泥じあいと喧嘩の違いは、泥じあいは相手に致命傷はあたえない

・ケンカは超えてはいけない一線があるが、泥じあいはそれがないので、思いのたけをぶつけてしまう。

・第3者からみて、それっきり関係が壊れた場合はケンカ、続いていれば泥じあい

・関係が修復できないところまで行ってしまうからこそ泥じあいでは?

・当事者以外は冷静に大人げないとみているが、いざ、自分に火の粉が降りかかってくると泥じあいに参戦

 してしまう。

・泥じあいは勝っても負けてもメリットがない

・戦略的に泥仕合に持ち込むことで、負けている状況もドローに持ち込むことができる。

・SNSの炎上も泥じあいなのではないか?

・若い世代ではそもそも泥仕合は起きずらいと思う。

・若い人がやっていると子供のケンカ、大人がやると泥じあい

・AI同志で泥仕合は起こるのか

・キャッチボールで、構えたミットを外れてボールが当たると泥仕合の発端になる(コミュニケーションの

 失敗で相手を傷つけると)

・お互いをある程度知っていて、切り離すことができない関係があり、その歴史が長く、清算されずにのこ

 っている感情のしこりがあるとちょっとしたきっかけで泥仕合が始まってしまう。

 

ここまで。

 

 

(作成: なごテツ世話人 荒井)


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【泥じあい】

2023年4月8日(土)

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