第60回 哲学カフェ

手加減とは?

2024年2月10日(土)

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カフェ・サンラファエルさまの入り口
カフェ・サンラファエルさま

対面

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日 時: 2024年2月10日(土) 13:00~15:00

場 所: カフェ・サンラファエル

    (名古屋市西区名駅2-11-8 ファーストビル大樹1階)

     地下鉄「名古屋駅」1番出口より北へ徒歩5分

テーマ: 手加減とは?

進 行: 高橋 秀和

参加費: 飲食代実費(440円~)

定 員: 15名

申 込: 終了

内 容: 手加減とは?

     反対の言葉は全力なのかと思いますが

     普段全力で過ごしていることは少ないかと思います

     では手加減した日常なのでしょうか?

     それもしっくりこない

 

     今回は「手加減」についてみなさんと考えてみたいと思います。

     初めての方も歓迎です。どうぞお気軽にご参加ください。

 主  催:   なごテツ(https://nagotetsu.jimdo.com/)

 共  催:   カフェフィロ(http://cafephilo.jp/)


テーマ「手加減とは?」

 

今回の哲学カフェは、参加前と考えが変わったという言葉を聞くことができました。

なんとも哲学カフェらしくて嬉しいですね。わかっていた、当たり前と思っていたそんなことが、実は違った側面があったことに気づいたり、わからなくなった、モヤモヤするということが哲学カフェらしいので、ぜひ哲学カフェに参加したことのない方も参加して体験してほしいです。

さて、対話の内容の一部を以下に紹介します。

 

・テニスのようなスポーツでも初心者には手加減して、厳しいコースではなく、取りやすいコースに球を運 

 ぶことがある. 相手が上手くなるためにやってあげる 勝負ではなく、自分より上手であない人と一緒に楽

 しむ.

・手加減は手を抜いてやること、勝負事でやる時は手加減しない.

・手加減することが相手に失礼になることがある.

・手加減という言葉はマイナスイメージに聞こえるが、手加減も全力でやっているのではないか.

・公式戦だと相手が弱くても全力で戦うが、練習であれば手加減することもある

・自分に対しての手加減もする、バレエの発表会は3時間近く踊るが、それを全力でやると持たないので、う

 まく力を抜いていくタイミングを取らないと踊りきれない.時間配分という形で手を抜くところがある.

・手加減というと試合のことを思い出す.自分が致命傷を負わないし、相手にも致命傷を与えないようにし

 ながら、勝たなければいけないと相手よりも自分が2倍、3倍上手くなければできない.

・楽器を弾いているのだが、アドリブをするときに音の数を減らしなさいと言われた、頑張っていっぱい弾

 こうとすると、音にまとまりがなくなってしまうので音を制限すること(手加減すること)で弾けるよう 

 になる.気を張りすぎないこと.

・手加減と聞くと、攻撃をするときに緩めないといけないこと.人に対することが多い.他人に手加減する

 と舐めていると思われるので、手加減はバレてはいけない。

・手加減は上から目線の言葉。上手に手加減するのは難しい、人を指導するにも、いかにも手加減してます

 のようではなく、上手に手加減することで自信をつけさせる事もできるのではないか。また、全てを教え

 るのではなく、相手に考える余地を残すことで相手の成長を促すこともできる。

・手加減は手を加える/減らすの加減が大事。自分が大工の小僧の時に、丁寧にやらなければいけないと思っ

 て作業していたら、お前は手加減を知らないと言われた、なんでもかんでも手を加えればいいというもの

 ではないとのこと、それならばと合理的にやろうとして手を省くことをやったらお前のは手抜きだと怒ら

 れた。しょせんバランスではないかと思っている。

・手加減の反対語は本気や全力なのか。本気で手加減?

・常に全力でやっている人には手加減が難しい。すでにできてしまっている人にとってはできない人にどの

 ように対応するかがわからない。どのように手加減するかも大変。できない人ができるようになった場合

 はつまづくところがわかるので、そこに合わせることができる。相手にとっての良い手加減は全力で手加

 減するしかなくなる。

・手加減の反対語ですが、加える、減は調節する、全力でいくということは加える方に全振りしている状

 態。加減をするということは調整するということなので手加減の反対は、制御不能かコントロール不可と

 いったような自分で調節が効かない状態ではないか。

・全力と脱力、本気と無気力のように、力の軸と気の軸があって、気の軸で力の軸が制御されている。

・料理でのいい塩梅、相手の様子に合わせるのに全力のため、余裕がない ・手加減はほど良い加減がいい加

 減。言い方次第でイイ加減

・手加減を2つの軸で考えるに納得。先日まで受験生で二人の先生に教わっていて、数学を聞きに行った時

 に、片方は熱意がとてもある人で全力で教えようとしてくれる、もう一方の 先生はちょっと力を抜いて

 いて生徒にとって都合がよく、あまりうるさく言わない。どちらが聞きやすくわかりやすいかというと、

 この手を抜いている先生の方が良かった。全力の先生に押されてしまうと、わかったと言わざる得なくな

 るので納得せずに終わってしまうことがある。相手の気力に合わせて調節してもらう方が助かると思っ

 た。

・手加減は相手に逃げ道を作ってあげること。

・手加減の反対はいい加減なのでは。

 手加減しているわけではなくいい加減にやっていること

 本気であることが相手への手加減。

・精神的に余裕がある場合に手加減できる

・全力を出すことは難しい

・ハンデをつけるのは手加減になるのか。

 ハンデをつけることで全力で競技ができる

 手加減は実力者が実力がないものを引き上げてやるイメージがある

・習い事で、最初は力の差があるので、手加減してもらっているが、力の差が小さくなったと思って手加減

 無しで対応してもらうとひどい目に遭う。 また、一方的にハンデを与えると失礼になるような事もある。 ・将棋で飛車角落ちで対戦。これは2者間にすでについている実力差を制度やルールによって埋める事だと思

 う。

・剣道の達人に聞いた、いくら強くても3本に1本は負けてやれ、ただし、わざと負けたと悟らせるな。そう

 しないと相手のプライドが傷つく。

・手抜き工事はあるが、手加減工事はない。

・加減なので、加える場合もある。

・嫌いな相手と柔道の試合をしたら手加減はできない。

 手加減をするには相手への思いやりがないと。

・手加減しないと攻撃性が出る。 自分勝手に自分の利益のために動いている人が手加減できないと面倒。 相

 手へのリスペクトがあると手加減の意味合いも違ってくるのではないか

・自分なら憎たらしい相手なら無視する。相手を意識している時点でいい人だと思う。

・手加減は上から目線の言葉というのは納得。ただ、度合いがある。いいかげん、いい湯加減。これが全力

 を出せる状態ではないか。

・手加減できることは、人並み以上の力がある。

・ジムで、手加減なしで、重量を上げると体を壊す。初めはちょうどいい重量を見つけることが難しい。自

 分に対する手加減も難しいのに、他人に対して手加減はもっと難しい。適切に手加減をすることは高等技

 術なのではないか。 経験なしで適切な手加減はできないのでは。

・体は鍛えれば鍛えるほど良いと思って、長時間の仕事をぶっ続けで頑張った。気持ちに体がついていかな

 くて病気になって結局は1年くらいかかってしまった。加減を知るのには授業料が要る。

・本人と指導者とのレベルが近いと手加減にならない

・CMで全力でお客様対応しますという言葉が胡散臭く思えてしまうようになった。

・クライミングでは、常に全力で登ることではなく、いかに力を使わないで登かが大事。時間が短いのであ

 れば技術がなくても力で登れるが、長時間になるとそれでは持たない。全力の出し方が間違っている。も

 のごとにはポイントがあるので、それを配慮しながら調整する必要がある。常に全力は危険でもある。

・車のハンドルは遊びがある。プロがアマと全力でぶつかったら競技によっては大怪我をしてしまう。手加

 減は一つの安全装置ではないか。

・手加減はあるが足加減は聞かない。手を出す、手を加えるのような言葉は、人間の意思を加えること。手

 加減は人間の意思ではないか。

・手の倫理というものがある。今までの倫理は目の倫理で私がどう見られるかだが、手の倫理は触れる触れ

 られるという双方向。手加減の手と同じなのではないか。相手のことを思って調節していく、双方向的コ

 ミュニケーション。

・料理の世界で寝かすということがあるように、何にもしない手加減というものがあるのか。人間の手を加

 えない手加減。

・何もしない手加減は成り行きに任せるということ。良くも悪くも振れ幅がでるがその振れ幅を許容してい

 る。

・料理の何もしない手加減は段取りに含まれると思う。

・皆さんの話を聞いて手加減の認識が変わった。手加減について、あまりいい印象ではなかったし、単に力

 を入れる入れないということだと思っていたが、それだけでなく、技術や意思や微細な調整、力を入れる

 ポイントのように、力だけでないものがあるということがわかった。

・手加減が悪くて全力が良いと思っていたが、今は逆になりました。

・たまには全力を出すことも必要ではないかと思う。いつも手を抜いていると全体のパフォーマンスは落ち

 る。期間を決めたりとかして全力を出すことが必要では。

・未熟な人が上手くなるには全力でやることが必要だが、熟練した人が全力でやらなければいけない状態は

 危険。

・民用の機械は全力が出ないようにして長く使えるようにしているが、軍用の機械はその時に全力が出るよ

 うにしてあるが壊れる。

・あとで考えると全力を出していないと思える。全力を出したと思えることがない。

・手加減と手を抜くの違い。両方とも調節することに変わりがないが、スポーツ考えると手を抜くは自分に

 矢印が向く、手加減は相手に矢印が向くように思う。

・本人は全力でやっていたつもりでいたが、周りからは手を抜いているように思われていた。他人から見た

 らそうは見えない場合がある。主観と客観でズレる場合ある。

・手加減は大事。手を抜くところは抜かないとやっていられない。

 東京は資本主義、愛知は社会主義でルールが違うと付き合い方が違う。

・力を抜くというのもある。

・全力を出すというのがあるから手加減がある

・全力を出す前に緩めることが必要。調整が必要なのでは。

・F1レーサは300キロをそのまま出し続けることはできない、コーナーでは減速する必要がある。速度の増

 減を全力でやっている。

・手加減は手加減する側の話が主だった、手加減される側の話はどうか。何かをすれば何かが返ってくる

・教育というのは手加減なのではないか。初めから高等数学を教えることはできないので、中学、高校、大

 学、大学院と年月をかけて段階をかけて教えていくという手加減。

・手加減には相手に対する思いやりを感じる。ではこの思いやりを抜いてしまうと容赦ないということにな

 る。嫌いな相手には全力で容赦ない対応となる。

・教育と手加減の関係。手加減していることがわからないようにすることがのようなことがというのがあっ

 たり、手加減していることがわかるから聞きやすいということもあり、相手にどのように受け取らせるか

 も調整することが必要なので手加減はやはり高等技術だと思う。

・教育も個性の時代なので、理解度が違う。満足度100%は難しい。どれだけフォローするかが大事。画一教

 育の限界として、個別指導だったり関係性を作るのが難しい。手加減も関係性ができていれば理解してく

 れる。関係性ができていないと否定された気持ちになってしまう。関係性を作るには時間がかかる。

・水泳の授業で先生は全力でやっているが、泳げない子は歩いてくださいと言っていた。全力の意味が違

 う。

・手加減の方にネガティブなイメージがあったが、手加減ができる人は目的がある人なのだとわかった。手

 加減する目的がなければ手加減はしない。人が相手の場合は相手のことを持って相手のレベルを引き上げ

 るために加減する。自分に対しても3時間踊るためにここでは手加減するというように視野を広く持って意

 識してはいなくても目的を持って手加減をしている。手加減に対するイメージがプラスに変わりました。

 

 などなどです。 手加減のイメージが膨らんでいく面白い展開を見ることができました。 常連さんも増えて

 次回が楽しみです。      

 

                              (作成: なごテツ世話人 荒井 豊)                                  

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